このところ、あれやこれや --近況雑記-- ◆レッスンを受けるときに一番大事なこと(2013/5/27) 自分が教えてもらっていただけの頃を思い出してみると、「あ、そうだった」と納得するのですが……。 お弟子さんや生徒さん達というのは、どうも、師匠や先生のことを「その方面でのスーパーマン」だと思い混んでしまっているところがあるようです。 清元の師匠なら、日本の芸能のことにはすべて通じていて、二胡の先生なら、中国の文化全部に精通している。自分よりはずっと孝美に居て、すべてを見渡し、言っていること、することはすべて正しくて、人格的にも優れていて、云々かんぬん……。 でも……。 実際のところは、まるで、違います。 どんな偉い先生でも、人格面も、演奏の技術も、表現者としても成熟度も、いつだって発展途上です。 かの、名優、踊りの神様と言われた六代目尾上菊五郎の辞世の句は「まだ足らぬ、踊り踊りてあの世まで」でした。あの名優でさえ、死ぬ瞬間まで発展途上だったのです。 教える方も、惑います。ある時には「どうやって教えればいいのだろう」「どうすればもっとよく分かってもらえるのかしら」「どうして、自分はこんなにへたくそなんだろう」……。自己嫌悪に陥ってどうしようもなく落ち込むこともあれば、逆に、「やっぱり私のやり方は間違っていなかったんだ」「ああ、分かった、ここはこんな風にすればきちんと伝わるのか」「昨日よりもずっとうまく演奏できるようになったじゃない」……、とてもうれしくなって上げ上げ気分になったりもします。 先生だって、人間ですから。生徒さん達と何ら変わるところはないのです。 例えば。 長い間通ってくれていた生徒さんが急に辞めてしまった時。 それが、「ただ単に忙しくなった」というだけのごく私的な理由に過ぎなくても、教える側は「私の教え方がどこか悪かったのかしら」「どうすればよかったのかしら」などと考えて、すごくへこんだりします。 例えば。 「すごい、初めて分かりました。こうすればよかったんですね」。生徒さんが喜びの声を上げてくれれば、「よかった、ちゃんと伝えることが出来た。私だって捨てたものじゃないじゃない」と、ちょっと鼻が高くなったりもします。
毎回、毎回のレッスンが、そんなことの繰り返しです。 因みに、私の場合、このたった二日間で、初めに書いた落ち込みと、次に書いた上げ上げが次々とやってきました。 昨日は、「あれだけ一所懸命教えたのになあ……」と、半端でない徒労感に襲われていたくせに。 「本当に、先生のところに伺ったら目から鱗のことばっかりで。どうしてもっと早く先生のところに来なかったのかしらって、思ってます」、午前中の稽古でそんな言葉をかけられて、今はもう自信満々、「教えてて、やっぱりよかった……」なんて、思っているわけで……。 ね、げんきんなものでしょう。 皆さんと、どこも変わるところはないのです。 レッスンの時には、どうぞ、それをお忘れなく。そうすれば、とても気落ちよくレッスンが進むと思います。 生徒さんの方が「先生には失礼のないように、ああ、きちんとしなきゃ」なんて、先生をあがめ奉ってしまうと、教える方にも「きちんとしなきゃ、しっかりしなきゃ、」という変なプレッシャーがかかって、意味もなく高圧的になってしまったりするものですから。 「まだ足らぬ、弾き弾きて、唄い唄いて、あの世まで」 六代目のように、皆さんに少しでも音楽の楽しさが伝わるように、私もさらに上を目指していきます。 皆さんとご一緒に♪ うめまるみ ◆自分との対話(2013/5/22) 50歳を過ぎると、体があからさまに変化をしてくるのを実感します。周囲の友人達も皆同じことを言っているので、きっと、万人の共通のことなのでしょう。不調を訴えて病院に行っても、「歳ですからねえ~」と医者に渋い顔をされることが多くなってきます。大抵は、「ああ、そうなんだ、仕方ないんだ」と諦めてしまうのでしょうが……。 でも、本当に諦めてしまっていいのでしょうか? マッサージに整体に鍼灸に通えば当座の痛みや症状は消えるけれど、また、同じ痛みは出てきますよね。 本当に根本的に解決することは出来ないのでしょうか? 歳だから仕方がないのでしょうか? でも、どうしても、私には納得がいかないのです。きちんと生きている以上、体はきちんと働きたいと思っているのではないでしょうか? 歳のせいにして諦めるのは、医者や自分の怠慢なのではないでしょうか?
「だって、何したって治らないじゃない」 そんな声も聞こえてきます。 だったら、こんな風に考えてみたらどうでしょう? 今まででは試してみていない、もっと違う方法があるのではないかしら、と。今まで取り組んできたことが根本的に間違っていたのでは、と……。 そんな風に思い始めていたところ、私は「アレクサンダー・テクニック」というものに出会いました。 (どんなテクニックなのかなかなか説明しにくいので、興味をもたれた方はネットで検索してみてください)。 結果は……。 自分の体の使い方について、コペルニクス的な発想転換がありました。 言葉で説明できることだけ頭の中にしっかりインプットして、レッスンの時に生徒さん達に伝えてみました。 それはそれは、驚くべき成果を見たのです。 伝えた生徒さんは一人残らず、もれなく、あっという間に音が変わりました。二胡でも、三味線でも、楽器を問わずに、です。
で、私は猛省した次第。「いったい私は今まで何を教えてきたのかしら……」。楽器を奏でると言うことは、体で音を作ると言うこと、と改めて知った次第。 今までは、楽器に向かっての体の使い方ばかりを教えて、自分の体とどう向き合って楽器の中に入っていけばいいのかということを、すっかり見落としてしまっていたことに気づいたのです。 本当は、後のことの方がずっと大事なことなのに。 自分の出した音にびっくりしている生徒さんを見ながら、心の中では「今までごめんなさい」と頭を下げ続けていた私です。 本当に、知らないということは恐ろしいことですね。 哀しいかな、本当に大事なことを大事なこととして気づかせて教えてくれるようなレッスンをしてくれる先生は、まだまだ少なくて、多分、邦楽界ではほとんどいないのではないかと思います。 きちんと自分と向き合って、きちんと正しい楽器との付き合い方をサジェストして差し上げられるよう、今しばらく学びの時間は続きます。 少しでもたくさん、生徒さんにもフィードバック出来ればと願いつつ……。 うめまるみ ◆居心地のいい場所(2013/3/26) 毎年春に都民芸術フェスティバルという催しが行われているのを、皆さんはご存じでしょうか。 文化庁が主宰している秋の芸術祭に対して、こちらは東京都が主宰している文化事業です。期間中、東京都を活動拠点とする文化団体の舞台公演を助成、協賛してくれる制度なので、この期間にはいつもよりもいろんなところでいろんな舞台公演が行われているのですが……。 秋の芸術祭に比べて、こちらは今ひとつ知名度が低いようで、ちょっとさびしいような気もします。 義太夫、清元、長唄等、伝統的邦楽の団体が集う「邦楽連合会」も毎年このフェスティバルには参加しています。今年もこの3月23日、国立劇場で「邦楽演奏会」が開催されました。今回は我が師匠清元梅丸師がタテ三味線で「雁金」を演奏するというので、私も朝から師匠のお供で出掛けました。
おかげさまで、当日はうらうらと春本番の日より。お堀には花と緑が美しく映えて、そぞろ歩きの人々がそこかしこ。名物の国立劇場庭先の桜、例年のこの会の時にはまだつぼみも堅いのに、今年はここを盛りと咲き誇り、それは見事な眺め。これを見ただけでもここに来たかいがあったと思わせるほどの美しさでした。 閑話休題。さてさて……。 ここしばらくは清元よりも二胡を演奏する機会の方がずんと多くて、地方以外の邦楽演奏会の楽屋に足を運んだのはほとんど半年ぶり。当初は少しく緊張もしたのですが。 楽屋に入れば、あそこにもここにも見知った人の顔。さすがにキャリアの長い世界、しきたり厳しい窮屈さも逆に背筋が伸びて気持ちよく、馴染みの我が家に戻った気分。「ああ、私の本当の居場所はここなんだなあ」と、久しぶりにしみじみとしてしまいました。 他の世界を知っっている私には、邦楽界の昔ながらの風習が時々どうしようもなく窮屈で、思わず他の世界逃げ込んでしまったりする時もあるのですが。 その窮屈さも、本当はなくしてはならない大切な物なのだと、思ったりすることもあって……。 その兼ね合いを計るのはなかなかに難しいのですね。 その折々でいろんな世界をまたぎつつ、その場その時で、いろんな守り事を上手に使い分けられるようになるといいのですが……。 そこまで行くには、まだまだ時間がかかりそうです。 うめまるみ ◆足し算の演奏と引き算の演奏(2013/2/13) 「もっと力を抜いて、楽にしてね……」 先日、生徒さんに教えながら、はっと気がついたことがあります。 楽器の演奏って引き算なんだ! 楽器を上手に弾くために「指、撥や弓が早く動けるように、きちんと音程が取れるように、たくさんたくさん練習しなくちゃ」 たいていの初心者の方々はそんな風に思っていたりしませんか? たくさん練習しないと指は動くようにならない。つまり、今は指は動かない、ゼロの状態。そこに、練習でテクニックを足していって、上手に弾ける100パーセントの状態に持っていく。 これが足し算の論理です。 でも、違うのです。ほんとうはそうではないのです。 指は元から動くものです。 もちろん、プロになって超絶技巧の曲を弾くつもりなら、それはかなりな訓練が必要になります。けれど、私たちが慣れ親しんでいるような歌謡曲、ポップスの普通のテンポ、とりわけバラードなどだったら、どんな練習を積まなくとも、指は十二分に動きます。 「でも、指はやっぱり上手に動きません」きっと初心者はそう言うでしょうね。 では、なせ、弾けないのでしょう。 それは、余計な物を自分で付け加えてしまっているからです。 車に例えてみましょう。エンジンも快調、ガソリンも満タン。もともと何もしなければ上手に走れる車です。 なのに、あなたはふと、心配になってしまいます。途中でパンクしたらどうしよう。野宿するようになったらどうしよう。あれやこれやと思い巡らせ、タイヤを4本積み、寝袋を積み、飯ごうを積み、登山靴までも……。結局重量制限の2倍者荷物を積み込んで走れなくなってしまう。 きっと、そんなことをしてるのです。 何もしなければ100パーセント弾ける状態の体。なのに、余計な力や余分知識をどんどん上乗せして、自分で自分を縛り付けてしまうために、結果、重量オーバーになって上手に演奏できなくなってしまうのです。 100パーセントにマイナスのおもりをつけて、わざわゼロの状態にしてしまっているのです。 子供が大人よりもすんなりと上手になってしまうのは、いろいろな知識や経験がない分、余計な荷物を背負うことがないからなのです。 ですから、上達したければ、是非引き算の演奏にしてみてください。 マイナスのおもりを次々と取り払ってもともとの100パーセントの状態に戻してあげましょう。そうすれば、自分でも驚くほどすぐに上達するはずです。 そのためのお手伝いを、私は一所懸命いたします。生徒さん一人一人の持っている癖を見抜き、それを取り除くためにはどうすればいいのかをアドバイスする。それが、教師という仕事の8割だと思っています。 ですから、どうぞ、みなさん、先生のアドバイスには素直に耳を貸してください。自分の癖は自分では分からないものですから。 うめまるみ ◆時は流れる(2013/1/6) なんとなんと、前回のご報告からほぼ一年が経ってしまいました。 とりあえず……。 皆様、明けましておめでとうございます。 まるで更新せずに一年も放っておくなんて、ずぼらにもほどがありますが……。昨年は、なんだか、てんやわんやの一年でした。前半はのんびりムードの出足だったのですが、6月以降が恐怖のスケジュール。演奏会は月に3回以上、それも、東京にとどまらず、韮崎へ行ったり、熊本へ行ったり、苗場に出かけたり。おまけに、うれしいことに、新しい生徒さんたちもいらしてレッスン時間は順調に増え、その合間に私は腕を壊し、一週間はパンツもあげられないほどひどい状態で。本当に、一時は泣きたくなったほどでした。 でも……。 よくよく振り返ってみると、昨年以上に忙しかった年はこれまでにもあったような気がします。なのに。昨年のへとへと感はちょっと異常でした。なぜなのかしら……。 よくよく考えて、やっぱり……。たどり着きたくなかった結論ではありますが。明らかに体力が衰えたのだということに気がついてしまいました。 たぶん、今年は昨年よりもさらに、へとへと感はますのでしょう。 でも、やっぱり、動かずにはいられません。昨年よりもっと前へと望まずにはいられません。 へとへと感と一緒に、必死で動き回ったところには必ず出会いの出会いが待っているということも、一緒に身にしみて感じたからです。 昨年は、本当にたくさんの方々との素敵な触れあいがありました。このホームページを頼ってたくさんの生徒さんたちがこの教室のドアをたたいてくれました。そして、おそらく、今年も……。 この一年、どんな素敵な出会いが待っているのでしょう。それを思うと、動かずにはいられないのです。 きっと、途中で音を上げたくなるかもしれません。こんなこと始めなきゃよかったと、投げ出したくなる企画もあるかもしれません。でも、やっぱり、私は走り続けたいのです。 新しい明日の私を目指して。あなたとの新しい出会いを目指して。 今、この文章を読んでいてくださっている貴方。ひょっとすると、明日にでもお目にかかっているかもしれません。今年一年も、たくさんの方々と笑顔を交わすために、走り続けます。 時は今。ここにしかないから。今、この一歩から……。 皆様、今年もよろしくお願いいたします。 うめまるみ ◆ ここからは昨年以前の記事です ◆次の世代に引き継ぐということ(2012/2/25) 今年は年が明けて早々、うれしいことが二つありました。 一つは、昨年発表会での二胡&三味線のアンサンブルが好評で、ご近所のサロンコンサートに呼んでいただいたこと。 三味線という楽器はなかなかに個性が強くて、他の楽器と組み合わせるのは至難の業。それだけに人の耳に触れる機会も少なくて愛好家が増えないという悩みがあります。そこで苦肉の策。無理を承知で二胡と組み合わせてみたのですが、これが意外にも好評で、ご近所のサロンコンサート(5月)で再びのお呼びが掛かったのです。これはうれしい誤算でした。何でもやってみなければ分からないと、しみじみ。入り口はどんなことでも、まず耳に留めていただくことが肝心。これからもちょっと変わったことにチャレンジしていきたいと思います。当日のコンサートには三味線も一曲、春に相応しい弾き語りの曲を一曲、書き下ろそうかなとも思っています。 さて、二つ目。こちらは、一つ目にも増してもっともっとうれしい出来事でした。小さな小さなお弟子さんが一人、お仲間に加わったのです。 噂に聞けば、ヒップホップダンスが学校で必須科目になるとか。ますます巷から追い出され気味の邦楽。清元など、習いにいらしてくださる方は元より少ないのですが、中でも、お子さんとなると、他の方のお稽古場を覗いてもまるで姿が見えないという状態。 「子供ですが、教えていただけますか……?」お母様のお問い合せに、もちろん否やはありません。 伺えば、近くに津軽の教室もあったのだけれど昔からの三味線の音色の方が好きなので私の教室にいらしてくださったとのこと。こんなにうれしいお話があるでしょうか。 この春やっと小学校だと聞き、「楽しんでくれるかしら」と少し不安でしたが、それも杞憂でした。最初から最後まで1時間、ずっとニコニコ。お稽古がすっかり気に入ったようで、毎回お稽古日を楽しみにしていて下さいます。その笑顔を見ているだけで、何とも幸せな気分に……。 ついに自分の子供を持たなかった私ですが、代わりに、今、お弟子さん達を自分の芸の子供として育てているのだと、そのお子さんの笑顔を見ながら、悟りました。 育ててもらった師匠への恩は、我が師匠にではなく、次代を担う若手を育てることで返すのだと、今、実感しています。 3月からは、もうお一方、新しく清元を習いにいらっしゃることになっています。 清元流は近々創流200周年を迎えます。この素晴らしい芸流を絶やさないためにも、私はしっかりと後進の指導に当たっていかなければ、と、芸の親としての勤めを果たさなければいけない、と、またまた思いを新たにしています。 生徒さんやお弟子さん達に育てられて今の自分があることに、感謝。 合掌♪ うめまるみ |