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 仙台の服部です!(第3信)  服部 豪志      2011/04/25 (月) 20:32      [返信]
仙台の服部です!第三信です。

東北新幹線の福島~仙台間の復旧工事が完了し運転を再開するそうです。
これで東京~仙台間の往来は可能になりました!震災以来実に45日振りです。
仙台~一関間の復旧の完了(29日予定)を待って、東北新幹線も全線再開となります。


昨日仕事で国道45号線を走っておりました。(このR45は仙台から石巻、気仙沼、大船渡、釜石、宮古…と津波の被災地帯を巡っております)
多賀城の辺りはまだ信号機が停まったままのところが多いですね。主要な交差点ではお巡りさんが3人がかりで交通整理をしてました。(このお巡りさんたちも他県からの応援のようです)
まだまだ津波で流されてきた瓦礫がところどころに残っております。
このR45を北に行けば行くほど車窓から見える風景が酷くなっていくんですね…

この東日本震災の死亡者・行方不明者はおそらくは3万人を超えてしまうかも知れません。死亡者のほとんどが津波による溺死です。

震災の発生したその日の夕方に「(仙台市)若林区荒浜に200~300の遺体発見」と報じられたとき、リアリティとして実感できず、全く以て「思考不能」というような、正直そんな印象というか気分でした。

私の会社にこの地区に親類のある社員がおりまして、数日してその娘さんがその親類の方の無事を確認しに荒浜地区に赴いたところ大量の瓦礫と、遺体があちらこちら青シートを被せられていて、まるで地獄絵のような光景に娘さんは「泣いて帰ってきた」そうです。


わが宮城県は日本初の都市型震災といわれている「宮城県沖地震」(昭和53年)を経験しておりますので、とりわけ防災意識は強いですね。この地震のおこった6月12日を「県民防災の日」とし、県内あちらこちらの企業や学校で習慣として防災訓練が行われたりしておりました。

「仙台東部道路」という仙台・名取の沿岸から凡そ3キロの位置を南北に走っている高速道路があります。この道路の東(海側)と西(山側)とでは被害の程度がかなり異なっております。この道路(高架橋)が津波を干渉したために山側は被害が少なくて済んだようです。もし高架橋の上から海側・山側を見比べてみたとしたら被害の差は一目瞭然のはずです。
震災前は両側とも米どころ仙台の誇る田園地帯だったのですが。山側の水田でも多少なりとも塩水を被ってしまったものは数年作付けが出来なくなるようです…

震災前の話ですが「この道路(高架橋)を津波の際の避難所に指定してはどうか」ということが議論され、そのために近隣住民の方が署名を集めたりしたそうですが、道路を管理するNEXCO東日本が「高速道路に立ち入るのはかえって危険」として却下したそうです。

今回の津波の際には200人余りの方が実際にこの高架橋に登って難を逃れたそうですが、もしこの道路が避難所指定されていたらもっと多くの人命が救われたかも知れません。

これはラジオで聞いた話。若林区の霞の目という辺り、陸上自衛隊の飛行場のそばに「波分神社」という小さい社があります。平安時代におこった「貞観津波」の際にこの辺りまで浸水したということで、後世への戒めのために建立されたのがこの社なのだそうです。ちなみにこの波分神社は海岸からは5.5キロ程の距離にあります。
それ以降も仙台は何度も津波を被害を受けております。
昭和初期の「昭和津波」のあと、県条例で「沿岸部には家屋を建ててはならない」としたものの、いつの間にか有名無実なものになってしまったそうです。
自然に対する侮る気分が一方ではあるのやも知れません。「まさか、そこまでは…ねぇ」というような。



今回もまた長々と書いてしまいました。(牧野めぐみ先輩にはご迷惑お掛けしております)
文章を書くのは元来嫌いな方ではございません。震災後に私が見聞きしたこと、感じたことなど先輩や仲間である皆様にお伝えできればと存じ書いている次第です。

まだまだ余震が東日本全体で続いております。
皆様もどうぞお気を付け下さい。
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