記事検索:
 東北・関東大震災安否確認伝言板
東北・関東大震災の被災地近辺にいらっしゃる友人知人に関する安否情報をお寄せください。身近な方どなたの情報でも結構です。 
全体表示
 服部豪志氏の無事が確認できました。  メグ    2011/03/18 (金) 22:28   [返信]
本日、菱倉さん宛に仙台の服部氏本人から以下のような無事を知らせるメールがあったそうです。
「私は無事です。皆様にそうお伝えして下さい」

        Re:服部豪志氏の無事が確認できました。 服部 豪志   2011/04/15 (金) 10:15 
仙台の服部です!
この度の震災につきまして、国劇部桜友会の皆様にはご心配をお掛けしております。
皆様から励ましのご声援をお寄せいただいておりました。この場を借りまして御礼申し上げます。

さて震災から1カ月が経ちました。
私の日常生活はほぼ平常化しております。
水道や電力等のライフラインはほぼ回復し(7・4余震で部分的に停まりはしましたがすぐに復旧)但し都市ガスの復旧が遅れているようですが。高速道路の通行が再開したために物流面が回復しお店には商品が出回ってきました。食糧・日用品を求めて行列に並ぶ必要はもうありませんね。但し震災のダメージの大きかった店舗はいまだ修繕の目途が立たず休業しております。

宮城県沖地震が発生したのは私が6歳のときです。自宅の居間でひとりテレビを観ておりました。(オバQの絵描き歌が流れていました)突然大きく揺れ出して家中の食器棚が倒れ出して、本当に怖い思いをしました。6歳年下の妹がちょうど母親のお腹の中にいました。
この震災が発生したときその妹の長女(4歳)が私の身体にしがみついていました。
今回の震災は宮城県沖地震の2百倍の威力だったそうです。姪もさぞ驚いたろうし怖かったことでしょう。一生忘れられないことだろうと思います。

先週ようやく津波の被害を受けた市内や名取市の沿岸地域に足を踏み入れることができました。
道路の両脇には瓦礫の山。その瓦礫のなかに自動車が無残な姿で折り重なっています。
田んぼのなかに漁船や家屋の屋根部分が打ち上げられていたり、凄まじい光景でした。本当に怖ろしいです…

まだまだ余震が続きます。どうも震源が三陸・宮城沖から福島や茨城にシフトしているようです。
首都圏でも震度3を計測していたりしますので、
皆様もどうぞお気を付けください。

        Re:服部豪志氏の無事が確認できました。 まるみ   2011/04/16 (土) 09:20 
服部 様

近況をお知らせ頂き、ありがとうございました。
とりあえず落ち着いた状況と危機、安心致しました。
関東から北はまだまだ不安定な情勢ですが、頑張ってください。
何かお困りの事があればご相談してください。

牧野めぐみ

        仙台の服部です! 服部 豪志   2011/04/19 (火) 10:55 
仙台の服部です!近況の二信目です。

四月ももう下旬に差し掛かろうとしております。
仙台の桜はいまが見頃で、近所の榴ヶ岡公園も例年であれば花見客で賑わうはずなのですが、この震災で人出も僅かばかり、ひっそりとしております。露店も出ておりますが売れ行きはさっぱりでしょう。

先週末に妹の長女スミレが幼稚園に入園しました。
本来であれば今月の初めに行うはずの入園式が震災の影響で二週間遅れてしまったのですね。
震災直後ということで今回の入園式では例年にない配慮がされていたと妹から聞かされました。新入園児はママと手を繋いで入場。式のあいだずっとママが隣についているといった様子です。(ふつう親たちは後ろの方に並んでいますね)
この震災といまなお続く余震で、日中でもひとりでトイレに行けなくなった子供たちが多いとか。

今日は私の母親の誕生日なのですが(私を含めてわが家には四月生れが多い)震災後の後片付けがひと段落するまでお祝い事はしないとわが家では決めております。
そういえば、ここしばらく酒飲んでなですね~いつ大きな余震があるとも知れずコワくて飲む気にもなれないというのが正直なところです。

そういえば、未明に秋田県内陸南部を震源とする5弱の地震がありましたね。東北でも日本海側は比較的大丈夫という認識でおりましたがやはり要注意ですね。

「福島第一」のことも宮城県民として心配です。
毎日のニュースで、状況が日々芳しくない方向に向かっているように思えるのは私だけではないでしょう。東京電力、原子力安全保安院そして政府(枝野官房長官)。「頭の良い」人たちが三者三様で語るものだから、私たち愚かな国民は何を信用していいのやら訳がわからなくなる。「ベクレル」って何?「シーベルト」って「魔王」を作曲した人?

福島県と隣接しているにもかかわらず、わが宮城県においては「福島第一」の影響についてほとんど伝えられておりません。一体どうなっているのやら…

        仙台の服部です!(第3信) 服部 豪志   2011/04/25 (月) 20:32 
仙台の服部です!第三信です。

東北新幹線の福島~仙台間の復旧工事が完了し運転を再開するそうです。
これで東京~仙台間の往来は可能になりました!震災以来実に45日振りです。
仙台~一関間の復旧の完了(29日予定)を待って、東北新幹線も全線再開となります。


昨日仕事で国道45号線を走っておりました。(このR45は仙台から石巻、気仙沼、大船渡、釜石、宮古…と津波の被災地帯を巡っております)
多賀城の辺りはまだ信号機が停まったままのところが多いですね。主要な交差点ではお巡りさんが3人がかりで交通整理をしてました。(このお巡りさんたちも他県からの応援のようです)
まだまだ津波で流されてきた瓦礫がところどころに残っております。
このR45を北に行けば行くほど車窓から見える風景が酷くなっていくんですね…

この東日本震災の死亡者・行方不明者はおそらくは3万人を超えてしまうかも知れません。死亡者のほとんどが津波による溺死です。

震災の発生したその日の夕方に「(仙台市)若林区荒浜に200~300の遺体発見」と報じられたとき、リアリティとして実感できず、全く以て「思考不能」というような、正直そんな印象というか気分でした。

私の会社にこの地区に親類のある社員がおりまして、数日してその娘さんがその親類の方の無事を確認しに荒浜地区に赴いたところ大量の瓦礫と、遺体があちらこちら青シートを被せられていて、まるで地獄絵のような光景に娘さんは「泣いて帰ってきた」そうです。


わが宮城県は日本初の都市型震災といわれている「宮城県沖地震」(昭和53年)を経験しておりますので、とりわけ防災意識は強いですね。この地震のおこった6月12日を「県民防災の日」とし、県内あちらこちらの企業や学校で習慣として防災訓練が行われたりしておりました。

「仙台東部道路」という仙台・名取の沿岸から凡そ3キロの位置を南北に走っている高速道路があります。この道路の東(海側)と西(山側)とでは被害の程度がかなり異なっております。この道路(高架橋)が津波を干渉したために山側は被害が少なくて済んだようです。もし高架橋の上から海側・山側を見比べてみたとしたら被害の差は一目瞭然のはずです。
震災前は両側とも米どころ仙台の誇る田園地帯だったのですが。山側の水田でも多少なりとも塩水を被ってしまったものは数年作付けが出来なくなるようです…

震災前の話ですが「この道路(高架橋)を津波の際の避難所に指定してはどうか」ということが議論され、そのために近隣住民の方が署名を集めたりしたそうですが、道路を管理するNEXCO東日本が「高速道路に立ち入るのはかえって危険」として却下したそうです。

今回の津波の際には200人余りの方が実際にこの高架橋に登って難を逃れたそうですが、もしこの道路が避難所指定されていたらもっと多くの人命が救われたかも知れません。

これはラジオで聞いた話。若林区の霞の目という辺り、陸上自衛隊の飛行場のそばに「波分神社」という小さい社があります。平安時代におこった「貞観津波」の際にこの辺りまで浸水したということで、後世への戒めのために建立されたのがこの社なのだそうです。ちなみにこの波分神社は海岸からは5.5キロ程の距離にあります。
それ以降も仙台は何度も津波を被害を受けております。
昭和初期の「昭和津波」のあと、県条例で「沿岸部には家屋を建ててはならない」としたものの、いつの間にか有名無実なものになってしまったそうです。
自然に対する侮る気分が一方ではあるのやも知れません。「まさか、そこまでは…ねぇ」というような。



今回もまた長々と書いてしまいました。(牧野めぐみ先輩にはご迷惑お掛けしております)
文章を書くのは元来嫌いな方ではございません。震災後に私が見聞きしたこと、感じたことなど先輩や仲間である皆様にお伝えできればと存じ書いている次第です。

まだまだ余震が東日本全体で続いております。
皆様もどうぞお気を付け下さい。

        仙台の服部です!(第4信) 服部 豪志   2011/05/06 (金) 19:51 
仙台の服部です!

GWも過ぎ震災から2カ月が経とうとしております。
「GWあたりに6強の余震が発生するかも…」ということでイチオウながら緊張した生活を送っており震災以来一切晩酌を断っておりますので、少しお腹の辺りがスマートになったかも知れませんねぇ(笑)


このGW中は買い物に出掛けておりました。
3・11と4・7(こちらの方がヒドかったのですが)でわが家の食器がほとんど壊滅してしまったのでその買い足しです。
街は賑やかでしたね。デパートもずいぶんと混んでおりました。

家具店にも行きました。タンスが倒れて壊れてしまいましたのでその修理の手配が目的です。「復興応援価格」ということでずいぶん安くなっておりましたが、多少お金がかかっても修理しようと思っております。今回の震災で23年分のガレキが生れたそうです。買い替えてしまっては壊れたタンスがガレキのひとつになってしまいますので…

近所のホームセンターを覘いてみると防災グッズが売れまくっていましたね。一時品切れだったのですがようやくこの類の商品が出回るようになりましたか…

道路のあちらこちらでガス工事がまだ続いています。
震災以降東京ガス、大阪ガスをはじめとする全国の都市ガス事業者が復旧支援に来ていただいておりました。傘下の工事業者を含めるとピーク時で4千人弱が復旧活動にあたっていたでしょうか。この応援部隊の宿泊のために仙台市ガス局は秋保・作並の温泉旅館を客室を長らく押さえていたようです。震災後通常営業が出来ずにいた旅館側もさぞ助かったことでしょう。先日応援部隊の解散式がありました。仙台市の奥山市長が隊員ひとりひとり握手して労をねぎらうという一幕もございました。
まだまだ新たにガス漏れ箇所が発見されるようですが、もはや市ガス局が自前で復旧できる程度になっております。

“ボランティア・ツアー”ということでこのGW中も全国から被災地にボランティアの方々が集まっております。
交通の事情だと思うのですが、場所によってはボランティアの方や支援物資が入りにくくそれによって復興がなかなか進まないところもあるのが現実のようです。
石巻のような元々人口の多い大きな街であれば民間の支援物資がカジョーなくらいに集まったり石原軍団も炊き出しに来たりするかも知れませんが、その周辺にある小さな街ではいまだ食糧等の物資が不足気味だったりガレキの撤去がなかなか進まないという場所もあります。
「ボランティアはもはや過剰」ということでもう受入れを停めてしまっている自治体もあるくらいですから。同じ県内の被災地でもはポイント、ポイントによってそれぞれ状況が違っていたりするんですね…

GW前の27日、天皇皇后両陛下が宮城県内(南三陸町・仙台市)の避難所をご訪問になられ現地の被災者を慰められました。皇居の方でも「自主停電」に取り組まれておられるとのこと、畏れ多いばかりでございます。

Kスタ宮城も震災後の補修工事が終わり29日からようやくプロ野球のゲームができるようになりました。楽天ファンとしては嬉しい限りです。プロスポーツが地域の人々に明るい希望の光を与えてくれることを祈るばかりです。

私の妹は宮城学院女子大学の音楽科を卒業しているのですが、1日に卒業生・現役生有志によるチャリティーコンサートがありました。私も妹の長女スミレを連れて客席で応援です。(というか、スミレのお世話係)妹は最後の合唱に出ておりました。
宮学の現役の学生のなかには津波に遇って亡くなった方もあるそうです。


最後に…吉村昭著『三陸海岸大津波』(文春文庫)がいま街の書店で山積みになっております。
奥様の津村節子さんの「この著作による印税を全額寄付する」という声明をうけて出版元の文藝春秋社がこれを大増刷。
仙台で学習院の公開講演会が行われた際、講師でいらっしゃったのが津村節子さんでした。その折にちょうど石巻の辺り?を取材で訪れていた吉村昭さんが講演後の懇親会に飛び入り参加されました。
私が仙台に戻って間もない頃ですので、もう9年も前のことになりますが、非常に懐かしく思い出されて、つい1冊買ってしまいました…
東北の沿岸部がいかに津波の襲来を受け続けてきたのかがよく解る格好の書ですね。

        仙台の服部ですがお願いです!(第5信) 服部 豪志   2011/05/08 (日) 18:28 
仙台の服部です!

よく、いろいろな方がテレビ等で「被災地の物産品を買ってあげて下さい!」と仰ってますね。
被災県の生産者にとってこれに勝る支援はございません!

わが宮城県も都内にアンテナショップを構えております。
現職の村井嘉浩知事が“食材王国みやぎ”と銘打って県産品のPRに一生懸命取り組まれているんですね。

「宮城ふるさとプラザ」
東京都豊島区東池袋1-2-2(東池ビル)
JR池袋駅東口から徒歩2分
<http://cocomiyagi.jp/>

宮城県の特産品をいろいろ取り揃えておりますので、是非お買い求めいただければ幸いでございます。

ちなみに…明日9日(月)から15日(日)まで蜂屋食品(株)さん(塩釜市)が「宮城ふるさとプラザ」でギョーザの実演販売を行います。
こちらの蜂屋和彦氏は宮城桜友会の会員(平10営)であり、私の親友でございます。
もちろん蜂屋氏自ら「ふるさとプラザ」に出勤します。
彼の工場も塩釜の沿岸部にございますが、幸運にも津波の被害を受けずに済みました。
(工場からホンの数十メートルのところまで浸水域が迫ったと、彼から聞いています)
しかしながら、従業員さんをお一人津波で亡くされたそうです…
地震で水道設備が損傷したり震災後の流通難から材料の確保に苦心したようですが、現在は通常通りに営業しているとのことです。
首都圏の皆様にも蜂屋のギョーザ、ご賞味いただけたら幸いです。

もし池袋にお越しの際は是非ぜひ「宮城ふるさとプラザ」にお立ち寄りいただきますようお願い申し上げます。

        仙台の服部です!(第6信) 服部 豪志   2011/05/17 (火) 20:10 
仙台の服部です!

「宮城ふるさとプラザ」で1週間ギョーザを焼いていた、盟友・蜂屋和彦氏が地元に帰ってきました。
私から連絡を聞きつけて「ふるさとプラザ」に足をお運び下さった皆様、本当にありがとうございました!
蜂屋氏も感謝の気持ちでいっぱいとのことでした。
心より御礼申し上げます。

宮城県の美味しいものは「宮城ふるさとプラザ」に取り揃えておりますので、引き続きご愛顧の程お願い申し上げます。


さて、震災から2カ月経ちましたが、仙台市内にも閉鎖されていない避難所がまだまだ多いですね。

私の親族で中学校の先生をされている方がいます。
この先生の勤める若林区のK中学校の隣にあるK小学校が依然として避難所でありまして、新学期を迎えるにあたり小学校まるごとK中学校内に移転させ、音楽室等の特別教室を小学校に明け渡していたりしています。
また1つの校舎校庭に2つ、或いは3つの学校が“同居”しているケースも見られます。校舎が津波で被災してしまい近隣の学校の校舎を“間借り”しているという訳です。
被災地周辺の教育現場がこういったことで、非常に窮屈な環境となっている場合が多いですね。

仮設住宅も仙台市内ではもともと開発予定地ということで広く土地が確保できる長町地区を中心に建設が進められてきましたが、やはりこちらだけでは数として間に合わないということで、あちらこちら公園にも急ピッチで建ち始めておりますね。

若林区のある公民館の話し。
ここもやはり避難所になっておりますが、ここに収容されている被災者と近隣の住民とのあいだでいまトラブルが起こっているそうです。
近隣の住民の方たちも仕出し弁当を届けたり日帰りで温泉に連れていったり、被災者に対して気を遣った配慮をしてきたのですが、それが次第に不遜な態度で返されてしまうことが多くなったそうです。
「この仕出しにも飽きたな~」とか。
終いには「仮設には入りたくないな~ここは電気水道が無料(ただ)だしな~出たくないな~」なんて口にしているらしいです。
これは近くの店舗に勤める知り合いの方の娘さんから聞いた話なんですね。


ちなみに、宮城県では3万戸以上の仮設住宅を建てる計画となっています。
ガスの給湯器にコンロ、エアコン、冷蔵庫完備。
当座生活に必要な什器類まで揃えてあります。
入居期間は原則的に2年間です。

        仙台の服部です!(第7信) 服部 豪志   2011/05/23 (月) 19:36 
仙台の服部です!

全石連というところで発行している業界紙がございまして、私の会社も購読しております。

こちらの紙面に、長年の同業仲間であるYさんの記事が載っていましたので、ぜひ紹介させていただきます。

Yさんは、いま原発事故で20キロ圏内(警戒区域)となっている双葉町でガソリンスタンドを営んでおりました。

震災発生の後、特に被害も少なく電力も程なく復旧したYさんのスタンドには、やはりガソリンや灯油を求めて客が殺到し店員さんたちと夜通し対応に追われていたその翌朝、白い防護服に身を固めた警察官がYさんたちの前に現れ、Yさんたち町民に強制退去を言い渡しました。
突然の事態にもかかわらず、Yさんは配達車両(ローリー)数台に灯油、軽油、ガソリンを積込み、その車両に店員さんたちを分乗させそのまま川俣町の避難先に向かったそうです。(その咄嗟の判断、なかなか出来るものではないと思います)

その時分、東北地方はまだ寒かったし雪も降ったりしていましたね。
Yさんが持ち運んだ灯油や軽油は、付近の避難所に配られたとのことでした。

埼玉県内への避難が決まると、退去以来行動を共にしていた店員さんたちを家族のもとに帰し、ご自身双葉町の避難所で暮らしておられます。

現在町の避難所は加須市内の方に移されましたが、高齢のお母様や奥様のために近くに家を借り、ご自身は飽くまで双葉町の住民と共に避難所にあり、町民たちのまとめ役を買って出ているとのことです。

「いつか双葉町に還る」というYさんの決意の言葉で記事が締めくくられておりました。

避難の原因である「福島第一」の状況も日々と深刻さが明らかになっていくなかで、いつになったら日常生活を取り戻せるのか?ひょっとしたら取り戻せないままで終わってしまうのではないか?「先が見えない」という不安で頭のなかがパンクしてしまうでしょう。(きっと自暴自棄ですね)「隣人のために」どころか己の精神を維持するのでさえとても難しいと思います。

一方、Yさんの配達車両の方は、津波で店舗や車両が被災してしまった宮城県沿岸部の同業仲間のSさんにお貸しているとのこと。先日Sさんと偶々お会いした際も、Yさんへの感謝と称賛の言葉が聞かれました。「感謝してもしきれない…」と。



去年の夏、Yさんとお会いしております。
Kスタで楽天のゲームを観にお孫さんを連れて仙台に来られたのですが(車をKスタと目と鼻の先である私の会社の敷地にとめるつもりで)雨天のためにゲームが中止になってしまい、残念そうに帰って行かれたのを思い出します。

        仙台の服部です!(第8信) 服部 豪志   2011/05/28 (土) 15:18 
宮城桜友会の先輩で安部孝さんという県会議員のをされている方がいらっしゃいます。
その安部県議を中心として、30~40才代のメンバー(若手?の会)で数年来よく会合を催すようになっていたのですが、この13日にも市内某所にて「復興決起集会」ということで一席ございました。

震災以来、まず“家飲み”は一切やめております。
こういった会合があって飲酒することになる場合は、うちの社員たちに「今日は何処どこで飲むから」と伝えてから出掛けるようにしているんですね。何があるかわからないので居場所を明らかにしておかなければいけません…

それにしても、久々に飲んだ生ビール、美味しかったですね~

県内随一の観光の名所・松島が安部県議の地元(選挙区)なんですね。
ちょうど県議会議員選挙の告示も迫っていてその準備で大忙しだったのがこの震災で急変。
周辺被災地の視察やら支援対策やらで寝る暇もないくらい益々お忙しい毎日だそうです。(選挙も半年延期になりました)

松島町といえばご存知の通り海に面しておりますが、海に浮かぶ島々が干渉したために津波の勢いが削がれたそうで、泥が混じった海水が町のメインの通り沿い(R45)のお店の内や名刹・瑞巌寺の軒先を浸したものの、沿岸の他の市町と比べて被害は軽いもので済んだとのことです。(ただし町外に出掛けられていて犠牲になられた方はございました)

同町のマリンピア松島水族館も浸水でポンプ設備が壊れ、飼育されていたマンボウやビーバーを死なしてしまいましたが、先月下旬から営業を再開しております。(この水族館、実は仙台港地区に移転、という話があったのですが、運営会社の資金問題のため沙汰やみになったのでした。もし移転が実現されていたらきっと建設中の水族館が大規模被災していたことでしょう…)

町内にもまだ避難所が残っており(どちらかというと隣の東松島市からの被災者を収容)、旅館や飲食店でもダメージの大きいところはまだ通常営業ができなかったり、また復興支援関係者のみ宿泊受入れというところもあり、震災の影響はまだまだ続きそうです…

私の義妹(弟嫁)がこの町の生れでございまして、実家が高台に建っておりますので浸水の被害はまったくなかったそうです。
姪(弟の長女)のカホが赤ちゃんだった頃なのでもう6~7年前になるはずですが、毎年恒例の花火大会を家の庭先(これが絶好のポイント!)から見せてもらったことがございます。

因みに例年8月15日だったのが数年前からお盆休みからはずれた平日(17日とか)に開催するようになっております。仙台市内の病院で看護師をしている義妹もせっかくお盆に帰省しても花火大会が楽しめないということになっております。
どういう訳でそう変えてしまったのか分かりませんが、見物客もさぞ減少し地元のお店も困っていると思うのですが…
地域復興の意味でも花火大会を15日開催に差し戻すべきだと思うのですがいかがなものでしょうか。

        仙台の服部です!(第9信) 服部 豪志   2011/06/09 (木) 14:48 
仙台の服部です!

私の会社は商売柄、3年に一度くらい仙台市(消防局)の立入りが入ります。
去年の立入りの際、近年ガスや石油の燃焼機器の誤った使用方法によるCO中毒事故が多いということで「学校教育の場でふだんの生活に必要な安全教育が行えないか」という提案をしてみたところ「なるほど、それはいいですね」と担当官が感心したようにメモっていましたが…

今回の大震災をうけて、平時における生活の安全の他に、防災や防犯、災害時においてわが身を護る術等など、もっともっと広い意味での安全教育が必要になってくるのではないかと思います。
それは意識としてしっかり根付くように長い時間をかけて、可能であれば現地実習してもいい。実際に被災地を訪ねて地震の恐ろしさ、津波の恐ろしさを実感して欲しい。
しかしながら、それが一種のマニュアルっぽいものになってもいけない。
その時々の自身の判断(選択)が本当に生死を分かつ場合だってあるんです。それは一種の“勘”というものかも知れません。
地震の後大津波警報が出たので、とりあえず高台の避難先に逃れたけれど「一向に津波なんか来ないじゃないか」と避難先を離れて自宅や職場に戻ろうとして犠牲になった、もし高台に残っていたら助かっていた命…それが何と多かったことか。
ここ数年何かとご一緒することが多かった石巻の同業仲間にも、そのようなことで亡くなった方がいらっしゃいます…

先人の経験や地域に伝わる言い伝えのようなものでも大いに教訓を含んでいたりします。
いまの小学校で郷土史のようなものを取り扱うか分かりませんが、そういうものに地域の災害史を含めてもよいかも知れません。

何十年かに一度、或いは自分が生きている間にあるかないかわからない災害のために…という考えも確かにありますが、日本は紛れもなく地震国であり火山国であり津波国です。日本全国常に災害発生の危険性に脅かされております。
防災についての認識を、もっともっと国民全体として高めていくべきだと思います。



さて、あちらこちら公園に仮設住宅が建ち始めております。

震災直後、宮城県では2万戸以上(後に3万戸)の仮設住宅の建設が計画されました。
仙台市においては3千戸が必要とされ、まず「あすと長町(ながまち)」(仙台の副都心とするべく大規模な再開発が進行している地区です)のなかに用地を確保し1千戸の住宅を建てたのですが…

仮設住宅に入らず、様々な理由で民間の賃貸住宅を探して入居する傾向にあります。
まず、避難所暮らしが困難な高齢者のある世帯である程度金銭的に余裕があるところですね。
いち早く家族のプライバシーの守られる環境を取り戻したいという思いもあります。
そもそも仙台圏は賃貸住宅の供給が近年過剰気味となっておりますので、選り好みしなければ即入居可なんですね。
地域的に賃貸住宅が少ない女川や東松島からの被災者も仙台市内の賃貸住宅に入居するというケースも目立つようになりましたね。

また、仮設住宅=無料、賃貸住宅=有料というのも支援対策として不公平感があるということで、後に入居者が手続きすることによって県がこれを借り上げて仮設住宅の代替とする(家賃は県が支払う)ことができるようになりました。知り合いの不動産屋さんがいうには「手続きが結構面倒臭い」とのことです。

仮設住宅は(国の予算を以て)県が注文し、運用は各市町村に委ねられております。
入居者募集のあり方も然り。
仙台市においては「コミュニティー申込」
を優先的に受け付けております。これは5世帯(第1次募集は10世帯)以上でグループをつくり(大抵はもとのご近所さんや親類・友人同士のグループということになります)、グループ毎に入居を申込み、入居が決定したら同じグループが隣近所になるように住宅を割り当てるというものです。
これは、阪神淡路の折に仮設住宅に入居した単身高齢者が人知れず“孤独死”するケースがよく見られました。それを防止する意味でこの「コミュニティー申込」を優先させるということなのですが、そのグループづくりの輪にどうしても入り込めずに取り残されてしまう人(世帯)っていたりしますよね。ふだんから余り近所付き合いをしてこなかったり、或いは「あそこの旦那さん、酒癖が悪いのよね」とか避難所での家族の素行が理由でグループに交ぜてもらえなかったり…
逆に人間関係の悪化からグループから抜け出てしまうということもあるから、まあムズカシイですね。
(もちろん「世帯単独」での申込も可能なのですが、高齢者・障害者のある世帯が優先されます)

それから、仙台市内の被災は宮城野区と若林区の沿岸部に集中しております。
仮住まいするにしても、もともと住んでいた住居に近い方がよいということですね。
現在避難所にいる人のほとんどは日常的に家財の整理のために被災したわが家に通っています。
子供がいれば学校の問題もあります。こういった状況なのでなるべく転校はさせたくない。先生、友達…従来の環境をそのままにしてあげたいというのが親心なのでしょうか。
(学校自体が近隣の学校に間借りしているケースもみられますが…)
前述のあすと長町(太白区)ではやはり遠いですね。

以上のような理由で、せっかく建てた仮設住宅が半分近くまだ入居されていないままなんですね。(そのまま放置されるかも…)

入居が進まない理由でもう一つ挙げるとすれば、仮設住宅に入居すれば避難所では存分に受けることができた物資等の支援が受けれなくなってしまう。食費や水道光熱費を自分で何とかしなければならない。(まさに放り出されてしまうということでしょうか)市としては仮設住宅ができた以上は早期に避難所を閉鎖したいというところなのですが、高齢者の単身世帯など現実として厳しいケースもありますね…

        仙台の服部です!(第10信) 服部 豪志   2011/06/15 (水) 23:24 
仙台の服部です!

今日は私の会社も会員になっております「仙台市ガス局指定店会」の会合がございまして、午後から市内中心部に出掛けておりました。
会合の後の懇親会がお開きになって(20時過ぎか)会場のホテルを出たところで、何と偶然にも帰宅途中の郷家貴昌と出くわしてしまいました。

「うぉぉぉ~!!」とお互いびっくりして奇声をあげてしまいましたが。

彼の顔を見るのは本当に久し振りなんでして、実に百回記念公演以来なんですね。(同じ市内に住んでいてもそんなものですよ)

何度もメールを送っているのに返事がないものだから、些か気掛かりだったのですが…

まあ、相変わらずでしたね。元気そうでしたよ。

        仙台の服部です!(第11信) 服部 豪志   2011/06/25 (土) 09:47 
仙台の服部です!

昨日の記事。東京都は、被災地支援を目的として岩手・宮城・福島の3県を旅行する都民を対象に「1人あたり1泊3000円」(延べ5万泊=1億5千万円!!)を補助することを明らかにしました!ただし個人旅行ではなく旅行代理店の企画するツアーが対象になるとのこと。なお補助の開始時期もまだ未定だそうです。

東北といえば、夏は各地で名物のお祭りが催され、毎年観光客で賑わいます。大体8月初旬の開催なので東北各地のお祭りを観て回りに“行脚”する方も多いのではないかと思います。

仙台でも震災に負けることなく、今年も「仙台七夕まつり」(8月6日~8日)開催されます!

それに先だって、東北6県の代表的なお祭りを一挙仙台の街に集めた「東北六魂祭」が7月16日~17日に開催されます。おそらくは東北中の物産が集められ大いに賑わうことでしょう。

前の投稿でも触れました通り、県内きっての観光地・松島も日々復興めざましく7~8月には、ほぼ全ての飲食店等のお店が営業再開する見通しです。(ただ町内の宿泊については、「復興関係者専用」になっている旅館もありますので注意が必要です)

東京都民の方といわず、他の県の在住の皆さんも、ぜひぜひ仙台・宮城に遊びに来て下さい!


詳しくはこちらまで

仙台七夕まつりHP:<www.sendaitanabata.com/>
東北六魂祭HP:<www.rokkon.jp/>
せんだい旅日和(仙台観光情報サイト):<www.sentabi.jp/>
電脳松島絵巻(松島観光協会):<www.matsushima-kanko.com/>



さてさて、国の復興支援施策の一環で、この20日から東北地方の高速道路を「無料開放」されております。期間は1年。
対象は、支援物資輸送のためのトラック、中型以上のバス、さらに震災・原発事故による被災者・避難者についても被災証明書等の提示により、無料で利用することができるとのことです。

「1年間高速道路がタダになる!」ということで…
家屋家財にそれほど被害がなく特に罹(り)災証明書の必要のなかった住民までもが、証明書をGETすべく役所に殺到しているんですね。
市町村によって証明書の交付条件が厳しかったり甘かったりするらしいのですが、仙台市においてはそれが極甘で、私が用事で行くことが多い宮城野区役所も近頃は朝から晩まで混雑して、なかなか駐車場に入れない状態です。

「NEXCO東日本等の道路運営事業体の経営を脅かしかねない事態」とまでいわれております…



ここ数日、震度3~4の余震が発生しています。
緊張で余りよく眠れておりません…

        仙台の服部です!(第12信) 服部 豪志   2011/07/22 (金) 11:30 
仙台の服部です!(ちょっと空いてしまいましたね…)

前回ご案内いたしました「東北六魂祭」でございますが、16・17日に市内中心部で開催されました。この両日、県内外から36万人もの見物客が会場に詰めかけたとのことです。
想定外の来場客の多さに、秋田の竿灯や青森ねぶたの運行が取り止めになる一幕もございました。

来月の上旬から、各々ご当地で開催されます。


さてさて…東京電力管内の皆様には、日頃から節電に勤しんでおられることかと存じます。

東北電力管内も節電が努力すべき課題であるのですが、今月のわが家の電気料金をみたところ…昨年同月の消費量と変わっていないではないか!と驚いてしまいました。でも…よくよく考えてみると、例えば「エアコンの設定温度28度」というような節電対策は、毎夏わが家では実行していることなんですね。(私が省エネ野郎なので…)
わが家の電力ピークはどちらかといえば冬の季節のような気がします。(いつもエアコンの設定温度のことで家内とケンカになったりしますが…)

東京の夏の暑さといったら、こちらとは比べものにならないですね。

節電、節電でエアコンを使わずに、体調を崩してしまっては宜しくないですので余り無理はしない方がよいかと存じます。


実は…宮城桜友会の仲間うちでボランティア活動を計画しております。

県議の安部孝先輩が音頭取りで、実施日は8月7日(日曜日)。
実施(予定)場所は、東松島市内の避難所。
東松島市は、宮城県の沿岸地域にあり、石巻市と松島町のあいだに位置しております。

この辺りは、小規模な避難所があちらこちらに点在するために、ドーンと多くの支援物資が入ってきたりボランティアが入ってくることが(隣の石巻市と異なり)余りないんですね。

県内においては海水浴のメッカで、震災がなければこの界隈の海水浴場(野蒜とか奥松島とか)は、そろそろ賑わいをみせる頃ではないでしょうか。
ちなみに演習機ブルーインパルスのアクロバット飛行で有名な航空自衛隊・松島基地があるのもこの市です。松島基地も津波のために甚大な被害を受けております。


まだまだ余震が続いております。震源「宮城県沖」が多いような気がします。
首都圏の皆さんもどうかご用心を。

        仙台の服部です!(第13信) 服部 豪志   2011/09/08 (木) 19:04 
仙台の服部です。
久しぶりの投稿になります。

間もなく震災発生から6カ月が経とうとしております。
早いような、反対に遠い過去のような…実にそんな不思議な6カ月ですね。
そんな気分なのは…(私の身の回りにおいてなのですが)きっと比較的早いスピードで日常生活が平常化したせいだと思います。


昨日のこと、市内沿岸部の津波で被災した地域を状況確認に行きました。

震災一ト月後にその地に足を踏み入れたときは流失ガレキやら車両やらでいっぱいだったのが、数カ月も経ってすっかり取り払われておりました。

しかしながら、この辺りの殆どの住民は他所へ移転したようで、津波によって酷く破壊された家屋のみが取り残されております。

偶にすれ違うのはダンプのような工事の車両ばかり。

この震災で倒壊してもはや人が住めなくなった家屋は自治体(仙台市)によって順次取り壊しを進めております。
こちらのように地区ごと住民がまったく居なくなったような処については後回しにしているのでしょう。

天気が好かったので地面に覆われた海砂は益々白く、無人なので物音ひとつしません。
まるで映画に出てくるような“砂漠のなかの廃墟”といったところでしょうか。

津波の名残か、大気中の塩分が口の中に入って塩辛くなってしまいます…

 石川英子さんの無事、確認できました。  メグ    2011/03/18 (金) 10:23   [返信]
宮城県 石巻市にお住まいの石川英子さん、友人から知人を伝って無事を確認することが出来ました。ありがとうございました。

        Re:石川英子さんの無事、確認できました。 メグ   2011/03/22 (火) 12:21 
石川さん本人にメールをもらった方から、「食糧はあるが、電気はまだ来ていない」とのご報告がありました。

        Re:石川英子さんの無事、確認できました。 メグ   2011/03/31 (木) 11:12 
perspnfinderを通じて、桜鞍会副会長の斉藤公男さんから、石川さんの無事を確認できて安心したとの連絡がありました。目白の馬、厩舎とも無事。支援することがあれば遠慮なく申し出てくださいとの事でした。

=メール  =ホームページ  =編集
1